急に思い出したシリーズ 嫌だったこと
2015年3月の入院と手術以来、色々と治療と検査をやってきたが、その中でももうやりたくないというものを書いておきたい。トップスリー、
3位 気管支内視鏡。 2015年末にやった。肺のCT画像に写った小さな影ががんかどうかを調べる検査。細胞を取って、精密検査をするというもの。
術前に局部麻酔のため、口からスプレーを噴射する手法だ。これを100ml位やる。それも気管支側、肺に入るようにしなければならない。すなわち、液体のスプレーを呼吸するように吸い込む。むせるむせる。涙が出た。
2位 放射線治療の口内炎。 1ヶ月半に及ぶ放射線治療の三分の一を過ぎたあたりから、終了後1ヶ月までの約2ヶ月口内炎よ喉の痛みに耐えなければならない。口内炎が同時に5個。喉は扁桃腺の感触で、液体を飲みこんでも痛い。口も大きく開けられないから、柔らかいものを多く食べる。主食はお粥になった。
1位 カニューレ、呼吸穴からのタンの吸引。 中咽頭手術の後、2日目から3日間、1日四、五回やる。首の付け根の空気穴から、気管支に溜まる痰を掃除機のチューブ型で吸い取る。これが痛い痛い。口からチューブを入れて吸入されて、そのちゅーぶをグリグリ動かすイメージ。これを夜中も含めて、四、五時間おきにやっていく。夜中は個室の引き戸が開くと、吸引か? と恐怖に怯えた。
2018年は、四年生に
3月末になると、中咽頭が3年、肺が2年、それぞれ手術から経過したことになる。
つまり四年生と三年生になる。
色々あったが、ここまでは順調に来たといえる。
今でも、酒タバコはしない、睡眠は十分に、散歩を意識して歩く、喫煙できるレストランには行かない、体温を上げる食材も習慣を意識する、などはあまり考えることなく出来るようになってきた。
年齢が50歳なので、老化とのバトルでもあり頑張る気持ちを持って生活する。
声の質
中咽頭の手術をした直後から、4日間は首の付け根にカニューレが入っていた。
だからその穴から呼吸をしていた。だからその間は匂いも感じないし、声もでない状態だった。
カニューレを抜いて、やっと声が出るようになったが最初は大きな声が出ない。カニューレの跡からくうきが漏れるからだ。1ヶ月すると完全に穴が閉鎖する。その時点でしっかりとした声がでるようになる。
でも、浮腫があったり、口が大きく開かないとかで実際にはハリのある声はでない。
術後半年もすると漸くこえが出始める。その時点で気がつくのは自分の声の質が術前とは少し違っていることだ。別に変な声になるわけじゃない。普通だけど、喉の中の形状が手術により変形しているのは事実であり、それにより音の反響が変わったんだと思う。通りが良くなった感じだ。
ま、いいか。どっちかというと、術前はこもりがちの声だったけど、少し抜けが良くなった感じだ。
急に思い出したシリーズ、 2015年4月6日 退院の日
ドクターXとかのドラマを見ると、病院のことを思い出す。
今日は2年8ヶ月前の中咽頭がん手術の後の退院を思い出した。
約2週間の入院の後、ようやく退院となった。
当日は朝食をいつも通り食べて、先生の診察を待った。
それを終えて、看護師のチェックをして、退院準備できた。確か10時ごろ。
着替える。この時に入院時と同じズボンを履くとウエストがぶかぶかになってることに気がつく。2週間の入院で体重が8キロくらい落ちたから、当然といえば当然だ。
着替えた後は栄養指導という面談があった。
栄養士の人が出て来て、バランスよく栄養をとるように、とか嚥下がキツイ時の流動食はこういうのがありますよと紹介してもらったり、30分ぐらいやった。
漸く帰宅となり、迎えに来てくれた家族と一緒に車で帰った。
この時点では多く唾が出るから、ビニール袋を携帯して、唾をぺッペ十分おきくらいにはいていた。
ペッペは確か1週間くらい続いた記憶がある。
火曜日は呼吸器外科、レントゲン
火曜日は、診察の日。
今回は、呼吸器外科にいく。
何時もの通り、採血にまずいく。そしていつもならそこから診察にいくけど、今回は胸部レントゲンがある。そしてようやく診察ただ。UFTの診察もある。
これで年内は最後だ。
来年は、1月はない。
2月はCTもあるしいろいろだ。
さて! 肺もいい感じでなにもでませんように、と。